例えば、私たちが店へ行き、名の知れたパン工場でつくられる食パンを1斤を190円で買うとしましょう。
どこのスーパーへ行っても、そのパンの大きさや重さは、きっと同じです。
百科事典によれば、パン1斤が、350〜400gとされていて、しかも同じ重量の原料を使って、同じ製法(醗酵のさせ方・ガスの抜き方まで同じだからなのですが、細かい話は置いておきまして)でつくっているためです。
名の知れたパン工場でなくても、普通、日本人が350〜400gの範囲でパンをつくって売りなさいといわれると、その多くの人は、中間の375gに近い380gのパンにするのではないでしょうか? 客を大事にするパン職人が腕をふるっている店の食パンなら400gに近いことも(ひょっとしたら)あるかもしれません。
これが、中国だと事情が大きく変ります。
350〜400gという範囲があれば、必ず350gを狙ってきます。しかも350gに満たなくても、売る側はもちろんですが、買う側も心得たもので、値切って買うのがあたりまえなので、そう気にしないみたいです。190円という設定金額がある以上、最も少ない重量でたくさん売ることを目指すからです(買う側は、そこそこ値切った金額で買っていくようなので、そのあたりは中国人同士に値切りのマナーがあるのかもしれません)。
これは労働でも同じことが言えて、仮に800元の月収が約束されているのであれば、いかに少ない労力にしてその賃金を手にするかを考えるようです。
また、そういうことができる人こそが能力の高い人間だと評価される節すらあります。
国民性という言葉があります。
日本人は農耕民族の名残か、朝に星、夜に星と真面目に朝から晩まで働くことこそ美徳とされますが、中国人は騎馬民族の名残が大きな影をおとしているのかと思ってなりません。
侵略をうけて王が代われば、富はもちろん人も家畜もすべて失うわけですから、そこから学んだ生き抜く智恵は習慣となって、習慣が風土に溶け込み、そうして子孫累々、現代にまで伝わったと考えるのが素直ではないでしょうか。
同じ肌の色と目の色、髪の色。その姿かたちは同じモンゴリアンで、宗教の根っこも同じ、漢字も使う兄弟のような中国人と日本人ですが、まったくもって全然違うんだなぁと、知れば知るほど思います。
そんな中国ですが、同じ中国の中でも、省によってあれこれと陰で言い合いはしているようです。
たとえば、○○省の人間は仕事をしてくれないから雇わないとか(その土地の人は、肥沃で一所懸命に働かなくても食べていくのに困らない風土で育っているから)、反対に××省の人間が通った跡は草木も残らないとか(岩と砂の多いやせた土地で育っているから)というふうです。
中国内部でもなかなか交わらないですから、別の国ともなると。。。
と、考えると気が楽になります。
※食パン1斤の重さは、公正競争規約によると340g以上と定められているそうです。 |